東京の町づくりはパリが目標

 明治維新によって江戸幕府から東京の行政を引き継いだ明治政府によって、東京を日本の首都にする為に都市計画の検討を始めたのが明治13年の事だそうです。
都市計画の対象となった範囲は、当時東京の人口が激減していたことから都心地域に限定されたそうです。
明治17年には東京の改造を法的に定めた東京市区改正条例が策定され、東京市区改正審査会を設立しました。
この委員会ではパリで行われた大規模都市計画が議題に昇り、東京をシャンゼリゼ通りのように広く美しい街路が都市を縦横に走り、各所に装飾を施された建築物が配置された町並みが目標とされたそうです。
しかし、実際には日清戦争の勃発による軍備拡充のために事業費が大幅に削られてしまい、更に都市計画その物が交通網の整備計画へと大きく変えられ、事業費の支出の約7割弱が道路改造に、約28%が上水道費となったそうです。
当初の都市計画がそのまま推進されていたら、東京の町並みはパリのようになったのでしょうか。

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