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桜新町 -東京の軽井沢と呼ばれた桜の町-

東急田園都市線「桜新町(さくらしんまち)」駅を下車、地上に上がると、私鉄駅近くに良く見られる商店街風景が広がります。

駅前商店街のそこここに下がる「サザエさん通り」の標識板示すとおり長谷川町子美術館が有ることでも知られています。
お魚くわえたどら猫が走る雰囲気はなく、どこか品よく感じられるのは美術館を越えて国道246号を横断し深沢8丁目に足を踏み入れば その理由がわかります。
町の様相は一変し大きなお屋敷が左右に立ち並びます。
道沿いには立派な桜の木が点々と植えられ桜のシーズンには見事な桜トンネルが出現します。
桜新町の起源は、万治年間頃(1658年~1660年)と言われています。
よく言われる彦根藩伊井家世田谷領二十ヶ村の一つで最後に開村した村が新町村になります。

新町村の開発が始まったと言っても、この辺は平地とはいえ水利が悪く表土層も固かったため耕作地に不適で明治の末期頃までは 三軒茶屋や太子堂の賑わいをよそにひっそりとした田舎村でした。

明治40年(1907年)3月渋谷から三軒茶屋まで玉川電車が開通、8月には二子玉川まで全線が開通します。

当時は玉川河川の砂利を運ぶ為の電車でしたが、桜新町にも「新町停車場」と言う駅が完成します。

農業には向かないこの固い地盤も交通の便さえが良くなればと目をつけた東京信託株式会社が宅地開発に乗りだします。

明治44年(1911年)から農家を戸別訪問して約7万坪を買収。
うち5万坪(183区画)を「都心の軽井沢」と銘打ち大正2年に売りに出します。
平均面積274.5坪、高台で景色がよく、玉川が近いせいで風が吹くと言うので、当初は別荘地として利用されました。町には著名人、高級将校、事業家等が移り住み次第に高級住宅街の様相を呈していきます。
主要な3本の道路沿いには分譲記念として、4m~5mの間隔で千数百本もの桜の木も植えられ、 この桜並木は花見の名所として知れ渡り昭和7年(1932年)ついに駅の名前も桜新町と改称されました。
その後雨の日でも傘はいらないとまで言われた桜並木も太平洋戦争直前に電線の邪魔を理由に1本おきに伐採され半減、また商店街の桜も店舗増加に伴い、惜しまれながら街路から姿を消していったそうです。

昭和43年には町名も桜新町に変更され、その独特な雰囲気は今でも憧れの住宅街として伝わっています。


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