神宮前のむかし

神宮前は、昭和40年の住居表示変更によって、原宿・竹下・穏田が合併して 生まれた地名です。
(神宮前一~四丁目あたりが「原宿町」と「竹下町」、 『表参道』をはさんで向かい合った五、六丁目が「穏田町」になります)

原宿は古くからある地名のようで神宮前2-2にある「勢揃坂(せいぞろいさか) 」には、八幡太郎義家が後三年の役(1083~1087年:奥羽の戦乱)にここで 軍勢を揃えて奥州に向かったという伝説があります。
この道そのものが鎌倉に通じる古道だったそうです。
穏田(おんでん)の由来は、北条氏の家臣の恩田という人が住んだからと言う説、現在の青山から渋谷間の、渋谷川にかけて緩やかな西側斜面に広がる田んぼ 地帯だったからとする説、大昔の田制にあった隠し田(「隠田」おんでん: 中世・近世に、隠して耕作し、年貢その他の租税を納めない田地)にちなむ説など、諸説あるようです。

天正19年(1591)、家康が関東入国後、伊賀者にこの地を給付しました。
後に鳥取藩池田氏、足利藩戸田氏、広島藩浅野氏の屋敷地にもなったようです 。
明治末に穏田の行者(飯野吉三郎)といわれる者が出現しました。
朝、白装束で祈祷し、神様のお告げを予告していたそうです。
日露戦争時に203高地の陥落を的中させたりし、政財界にも心酔者がいたそうです。
昭和19年に病没しましたが、穏田の神様とか日本のラスプーチン とか言われていたようです。