縛られ地蔵(林泉寺)

林泉寺(文京区小日向4-7-2)は1602年伊藤半兵衛長光を開基として創開しました。

「盗難や失せ物があると、地藏尊に縄をかけ、願いがかなうと縄をほどく」
と言う変った風習があり、昔は荒縄、今はビニール紐と趣はだいぶ変りましたが、お地蔵様は今も昔もグルグル巻きにされ、そこから「縛られ地蔵」と呼ば れました。

お地蔵様が縛られる由来は、江戸時代に遡ります。
ときは享保年間(1716~36年)のある夏の暑い昼下がり、日本橋の呉服間屋の手代が大八車に反物を山と積んで、業平橋(現・墨田区)近くの南蔵院の門前を通りかかりました。
あまりの暑さに木かげでひと休みしたところ、寝入ってしまい、 目がさめるとさあ大変、門前に置いた反物は車ごと無くなっていました。
あわてた手代はさっそく町奉行へ訴え出ました。

取調べに当たったのが町奉行の 大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)で、
「反物が盗まれたのを見すごすとは、門前の地蔵も同罪である。縄打って引っ立てて参れ」と命じました。
お地蔵様は荒縄でぐるぐる巻きにされ、大八車に乗せられて奉行所へ連れて行かれます。
物見高いは江戸っ子の常、前代未聞のお地蔵様の引き立てに、ぞろぞろとついて行きました。
奉行所の門は開け開かれ民衆は中まで入っていきました。

頃合を見て越前守は門を閉めて、「奉行所の白州へ乱入するとは不届至極、その罰として反物一反を納めよ」
野次馬たちは驚いたが、納められた反物から盗まれた反物が発見され、大盗賊団がことごとく捕まって一件落着したそうです。