忠犬ハチ公

ハチ公が一躍有名になったのは、昭和7年10月4日の朝日新聞に
「いとしや老犬物語 今は亡き主人の帰りを待ちかねる7年間、
東横電車の渋谷駅、朝夕真っ黒な乗降客の間に混じって人待ち顔の老犬がある。」
という大きな記事が載ったのがきっかけでした。

ハチの初代の飼い主は上野英三郎博士(三重県出身)と言います。

明治28年に東京農科大学農学科を卒業され、大学院を経て東京帝国大学に勤められながら、農商務省、内務省を兼務されて、耕地整理、土地改良事業の計画に参与されました。
わが国の農業土木工学の創始者として大変高名な学者として知られています。

博士のご自宅は渋谷駅から歩いて5分くらいのところにありました。
現在の東急百貨店本店「Bunkamura」(松濤1丁目)の辺りに約200坪の敷地が あったそうです。
博士にはお子様が無かったこともあって、ハチは大変可愛いがられ、博士の温情を一心に受け止めて育ったと聞きます。

しかし、そんな幸せは長くは続かず、博士のところへ来てから17ヵ月後、大正14年5月、博士は大学の教授会で突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまいました。

ハチは博士没後、日本橋大伝馬町の堀越という呉服問屋で暮らす様になります。
しかし、しばらく暮らした後、7月中旬に浅草三筋町の高橋子之吉さんの家に連れて行かれ、最後に出入りの植木屋小林菊三郎氏へ引きとられていきました。
小林菊三郎氏の自宅は三軒茶屋にあり、そこからも渋谷駅まで通い続けていたそうです。

当時の吉川渋谷駅駅長にも可愛がられ、ハチは昭和10年3月8日、11歳余りで 一生を閉じました。
普段行かなかった駅の反対側にある稲荷橋付近(渋谷3丁目)で、ひっそりと死んでいたそうです。

一番友達の多かった渋谷駅に運ばれると町内の人達が集まり、その亡骸は花束に埋もれたそうです。
駅周辺の焼き鳥屋が与えるえさが目当てで、ハチが駅に通ったと言う人も いますが、忠犬ハチの一途な姿は今も変わらず人々に感銘を与え続けています 。

現在、ハチの亡骸はハク製となり上野の科学博物館に保存されています。
上野博士のご遺骨は三重県の上野家累代の墓に埋葬されましたが、 東京青山墓地(1ロ,6号12側)にも分骨が埋蔵されています。
その横には寄り添うように愛犬ハチが「ハチ公の碑」となり埋葬されています 。