山手地区は大学でいっぱいだった

明治時代の山手地区には沢山の大学があったそうです。
例えば神田一ツ橋の低地から御茶ノ水の台地にかけて、東大、一橋、学習院、 東京教育、上智、青山学院、立教、東京工業、慶応、早稲田、明治、中央、日 大、法政、専修などの大学がありました。
このため神保町の周辺には、書店や下宿屋、文明開化の象徴、モダンな店も立ち並び、「文教地区」となったそう です。
こんなに大学が集中した理由は、明治初期は山手の地価が下町より安かったのと、明治維新で都心部の大名屋敷が軒並み空地になったからです。

なぜ高台が下町より土地が安かったのでしょう?
それは、現代常識では高台がよい土地とされていますが、当時は水の便が悪くて住みづらい所が多かったようです。
したがって、広い土地が必要な大学にはもってこいの場所だったようです。

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