柳橋と浅草橋の由来

「柳橋」はいくつかの町が整理統合され、昭和9年に誕生しました。
町名の由来は神田川の隅田川合流点近くに「柳橋」と称する橋があったのにちなんだそうです。
柳橋の名は、江戸中期の頃から花街として人によく知られ、橋のほとりには船宿が並びにぎわっていました。
料亭および芸者衆も多かったそうです。
「柳橋」は、元禄11年(1698年)に初めて架けられました。

神田川が大川にそそぐところにあったことから、当時は「川口出口の橋」 (かわぐちでぐちのはし)と呼ばれていましたが、橋のほとりに柳が植えられていたことから、いつしか「柳橋」と呼ばれる様になりました。
現在の橋は昭和4年に架けられた橋です。

「浅草橋」という町(名)は、昭和9年に茅町、上平右衛門町、下平右衛門町 福井町、榊町、新須賀町、新福井町、瓦町、須賀町、猿屋町、向柳原町が ひとつになってできました。
町名は神田川に架けられた橋の名にちなみます。

江戸幕府は、主要交通路の重要な地点に櫓、門、橋などを築き江戸城の警護を していました。
奥州街道が通るこの地点は浅草観音様の道筋にあたることから築かれた門は、 「浅草御門」と呼ばれました。 また警護の人を配置したことから「浅草見附」とも言われていました。

神田川に橋が架けられたのは寛永13年(1636年)のことです。
浅草御門前にあったことから浅草御門橋と呼ばれましたが、いつしか「浅草橋 」と呼ばれるようになりました。