坂の由来(3)

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東京は、山手、下町と大きく分ける事が出来ます。
その境目には大小の坂があり、その一つ一つに由来があります。
その幾つかを紹介しましょう。

霞が関坂(かすみがせきざか)
霞が関二丁目の人事院と外務省の間を西から東へ下る坂です。
現在では霞が関一丁目に続く所は、傾斜が見られませんが、昭和初期の地図 でも日比谷公園に突き当たる直線道路で、すぐ南側の潮見坂と並んで、長い傾斜をもっていたものと思われます。
中世の頃、この辺りに関所が置かれていたことから名が起こり、江戸時代には広壮な大名屋敷が建ち並んで、錦絵にもよく描かれています。
霞が関ゆかりの名も、現在では中央官庁街の代名詞に使われています。

三年坂(さんねんざか)
霞が関三丁目の大蔵省と文部省との間の坂です。
今は会計検査院の前を直線に高速4号線に突き当たりますが、昭和39年頃まで はこの坂の上部が二段三段と曲折した坂が続き、その所を栄螺尻(さざえじり) と呼んでいました。
『新撰東京名所図会』には、「この坂で転ぶと、三年の内に死ぬと云う俗説が あったから、”三年坂”と呼ばれる様になった。」とあります。

新坂(しんざか)(俗称:遅刻坂(ちこくざか))
永田町二丁目の都立日比谷高校とメキシコ大使館の間を「外堀通り」へ下る坂です。
かなりの急勾配で、登校を急ぐ生徒たちがあえぎながら登っていく風景から、いつしか遅刻坂の愛称がつけられました。