豪徳寺と招き猫の関係

豪徳寺は、もと弘徳寺(弘徳院、又は弘徳庵とする説もある)と呼ばれ、吉良氏の菩提寺でしたが、世田谷城主だった吉良氏が戦国時代に滅亡したため 、寺運が傾いていました。

江戸時代になったばかりの頃、和尚さんが一匹の猫を飼っていました。
タマと名付けて大変可愛がっていたそうです。
そのタマに和尚さんが、「おまえもずっとわしのおかげで食ってきたんだから、この寺のビンボーぶりを知っているんだったら、なにか果報でも持ってこい!」と言う内容を、日頃から言い聞かせていたそうです。

そんなある日、彦根藩主井伊直孝(いいなおたか)(1590-1659 江戸初期の譜代大名近江彦根藩の祖。大坂冬・夏の陣に活躍。秀忠・家光・家綱三代に仕え、草創期にある幕政を補佐した。)が世田谷村まで遠乗りにきていました。
ちょうど弘徳寺の前に差し掛かった時、激しい夕立が降ってきました。
その時です。日頃から和尚さんから話(愚痴)を聞かされていたタマが山門の前で井伊直孝と目が合いました。

すると、タマは右手を耳の上まで上げて、おいで、おいでをしました。
直孝:「妙な猫じゃ」 直孝が、門を入ってゆくと、タマは玄関で、おいで、おいでをしました。
直孝が玄関に立つと、今度は、和尚さんのいる客間でおいで、おいでをしたの です。
こうして、タマは、井伊直孝と和尚さんを出会う機縁を作ったのです。

その後寺は、井伊家の菩提寺となり、手厚い保護を受ける様になりました。
1659年に直孝が没した頃、その法号「久昌院殿豪徳天英大居士」にちなんで 豪徳寺と改名したそうです。