言問い通りの由来

読み方は、こととい通りと読みます。
台東区浅草に有る言問橋から鶯谷を通り東大の方まで、続いています。
言問橋の由来は、平安時代までさかのぼるようです。

平安時代の六歌仙の一人。
古今集歌人の中でも一二を争う人気歌人だった在原業平(ありわらのなりひら) は、京を離れ、当時湿地帯が広がる辺境だったこの地に左遷されました。
そして、はるばる隅田川の畔までやってきた時、鳥の名に託して都の恋人を偲んだ、という伊勢物語の故事から言問を転用したものと考えられています。

ちなみにこんな歌です。

名にしおはば いざ言問わん都鳥 わが思う人はありやなしやと

都鳥とはユリカモメのことだそうです。

言問橋には昭和20年、1945年3月9日の夜半から10日早暁にかけての「東京大空襲」の一大惨事と言う過去もあります。
戦火に追われた人々が、両岸から「向こう岸へ行けば助かる」と信じて言問橋に殺到し、最終的にはこの言問橋の上には、千人近い人々が橋上で折り重なり、橋上を埋め尽くし亡くなったといわれています。

言問と言えば、創業明治元年の「言問団子」(墨田区向島5-5-22)は有名です。
団子は白あん、あずきあん、緑のこしあんの三色団子で、この団子屋さんの祖先が言問いの名をこの地に広めたという説もあるようです。