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日本橋三越本店のライオン像:知られざる必勝祈願スポット
東京・日本橋の街角に鎮座する三越本店のライオン像。待ち合わせスポットとして親しまれるこの像には、110年の歴史と意外な秘密が隠されています。百貨店の象徴として君臨し続けるライオン像の魅力と、知られざる逸話を紐解いていきましょう。
日本橋三越本店ライオン像の誕生と歴史
三越の歴史とライオン像の設置
三越の歴史は、延宝元年(1673年)に三井高利が江戸本町1丁目に開いた「越後屋呉服店」に始まります。時を経て三井財閥の一翼を担うまでに成長し、何度かの改称を経て昭和3年(1928年)に現在の「三越」となりました。
大正3年(1914年)、日本初の百貨店として新店舗をオープンした際、当時の支配人であった日比翁助のアイデアで正面玄関に二頭のライオン像が設置されました。日比のライオン好きが高じて設置されたという逸話もありますが、三越が百貨店業界の「王者」となることを願った象徴的な意味合いもあったと考えられています。
ライオン像の特徴と製作背景
三越のライオン像は青銅製で、前足から尾まで269cm、頭までの高さが120cmという堂々たる姿をしています。日比が百貨店開設の準備のため欧米を視察した際、イギリスで注文したものです。
モデルとなったのは、ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン提督像を囲むライオン像でした。英国の彫刻家メリフィールドが型どりを行い、バルトンが鋳造を担当しました。この製作過程は、当時のイギリス彫刻界でも大きな話題となったそうです。
ライオン像にまつわる逸話と伝説
戦時中の運命と復活
太平洋戦争中、多くの金属製品が供出される中、三越のライオン像も例外ではありませんでした。海軍省に供出されたものの、幸運にも溶解を免れ、東郷神社を経て昭和21年(1946年)に無事本社に戻ってきました。
この経験は、ライオン像が単なる装飾品ではなく、三越の歴史と運命を共にする存在であることを示しています。戦争という苦難を乗り越えて帰還したライオン像は、まさに三越の復興と発展を象徴する存在となりました。
必勝祈願の秘密
三越のライオン像には、興味深い言い伝えがあります。「誰にも見られずに背にまたがると念願がかなう」というのです。この"必勝祈願の像"としての側面は、多くの人々を惹きつけてきました。
しかし、人目につく場所にあるライオン像に誰にも気づかれずにまたがるのは至難の業です。この難しさゆえに、成功した人の願いは必ず叶うという伝説が生まれたのかもしれません。はたして、これまで何人の人がこの秘密の儀式を成功させたのでしょうか。
三越ライオン像の現在と未来
三越のシンボルとしての役割
ライオン像は、日本橋三越本店だけでなく、全国の三越支店にも設置されており、三越のシンボルとして広く認知されています。待ち合わせ場所としての機能だけでなく、三越の歴史と伝統を体現する存在として、多くの人々に愛され続けています。
近年では、ライオン像をモチーフにした商品や、記念イベントなども開催されており、三越のブランドイメージ向上に大きく貢献しています。110年の歴史を持つライオン像は、今や三越だけでなく、日本の百貨店文化を象徴する存在となっています。
文化財としての価値と保存
三越のライオン像は、その歴史的・文化的価値から、重要な文化財としても注目されています。百年以上の時を経た今も、当時の姿を保ち続けているのは、適切な保存と管理が行われてきた証でもあります。
今後も、ライオン像の保存と活用を通じて、日本の商業史や都市文化の一端を伝える貴重な存在として、さらなる注目を集めることでしょう。三越ライオン像は、これからも東京の街角で、人々を見守り続けていくことでしょう。