目黒は秋刀魚ではなく筍の産地だった

目黒と言えば、「目黒のさんま」が有名ですが、実は昭和初期までは筍の産地で有名でした。

江戸時代中期、安永年中ころ、京橋の本湊町に広い店と大きな邸宅を構え海運業を営む豪商、 山路治郎兵衛勝孝が荏原郡戸越村(品川区小山周辺)に別邸を構えました。
当時戸越村農民は高い年貢を納めるのに貧窮しており、 こうした状態を見た山路氏は、なんとかしてこの農民たちを救うことは出来ないかと考え、 元文元年(1736年)琉球を経て島津藩に伝わったと言われる「孟宗竹」(モウソウチク)を 寛政5年(1793)に取り寄せこの地で栽培を始めました。

その結果、竹の栽培が大根に代わり、村人は筍から多大なる恩恵を受けました。
目黒産の筍は味は勿論のこと、程よい柔らかさで歯ごたえもあったので「白子(しろこ)」と呼ばれ、大変珍重されました。
特に、現在の鷹番、碑文谷で筍栽培が盛んだったようです。
今では昔の面影を偲ぶ所は殆んど無くなってしまいましたが、碑文谷にある「すずめのお宿緑地公園(碑文谷3-11-22)」が唯一竹林があった場所を 残しております。