弁財天のお姉さんは貧乏神!?

北野神社(牛天神。春日1-5-2)境内の社殿の左横に太田神社があります。 猿田彦命(さるたのひこのみこと)をを祭りその創立年代は、はっきりしていま せん。
『新撰東京名所図絵』によれば、小石川方面のことに通ずる老人の話として、 次のことが載っています。

今の太田神社は、昔は貧乏神と称する黒闇天女(七福神の中の弁財天の姉)を祭っていました。
現在も、俗に貧乏神と呼ばれています。
小石川二百坂(伝通院の西側、学芸大附属竹早中学校の東側の塀に沿う)に、 旗本某が住んでいました。
家中これといった不幸はなかったが、どういう訳か暮らしは豊かではありませんでした。
おそらく小旗本であった為に貧乏に苦しんでいたようです。
ある夜、夢に貧乏神が現れて主人に告げて曰く
「我は貧乏神なり、永い間居心地が良かったのでこの家にいた。
この度余所に移ることに相成った。
ついては、長年世話になった礼に福徳を授くべし、
今より朔日(さくじつ・陰暦で、毎月の第一日)、十五日、二十五日の三日間に
赤飯と油揚げを供えて我を祭れ」

旗本某は、そのお告げのとおりお供えをしてお祭すると、万事良いことづくめで、たちまち福運が向いてきて豊かになったそうです。
旗本は大喜びで貧乏神の像を彫ってもらい拝むようになりました。

その後、自分の死んだ後に子孫が粗末にするのをおそれて、牛天神(北野神社) にわけを話してその像を納めてもらいました。
その後、この話を聞いた大工の棟梁が、幕府の工事を請負わせてもらいたいと 、この貧乏神に願いました。
もし願いが達せられれば、お札にお宮を造って奉 ろうと熱心に祈りました。
祈願のかいがあって、望みどおり幕府の御用を受けることになりました。

そこで棟梁は新しく祠を造って報いたというお話です。
遠近の人たちは、この話を聞いて、沢山お参りに来るようになったそうです。

それからこの貧乏神は、福の神として人々の信仰を集めました。