大久保つつじの里帰り

つつじの名所のに数えられる皆中稲荷神社は、新宿区百人町1丁目にあります。
その昔、神社を中心として大久保のまち自体がつつじの名所として賑わっていた という話をご存知でしょうか?

江戸時代、開幕当時からこの地に住み、江戸を守った鉄砲組百人隊の同心たちが、 副業として育てていたのがつつじでした。
そしてその種を起源としてつつじはまち中に繁茂しました。
江戸末期の文化から天保にかけては特に盛況で、百人町を中心に 70種10,000株が生産され、7つのつつじ園が設けられて「大久保つつじ」として 昭和初期まで多数の見物客で賑わったということです。
しかし、大久保つつじは宅地化の進展や戦災などであっという間に姿を消してしまいました。
何時しか地元ではかつての名所をしのび、毎年4月に鉄砲組百人隊ゆかりの 皆中稲荷神社につつじを植栽し「大久保つつじ祭り」を開催してきました。

そうした中、「消えたつつじをもう一度大久保の地に」という提案が区民からおこりました。
これは、大正時代に譲渡された大久保のつつじが現在も群馬県館林市の県立つつじが岡公園に あり栽培されていることが明したことによるものでした。
現在、つつじが岡公園には江戸キリシマの古木群が多数生育されているのですが、 専門家の調査の結果、当時大久保から移植された原木であることが確認されました。
紛れもなく、江戸末期、新宿区百人町を中心に生産されていた「大久保つつじ」だったのです。

平成17年(2005年)「大久保つつじ」は挿し芽を採取し移植されました。
これから年月をかけて育てて行くことになるためお披露目にはまだ少し時間はかかる ものの、まちの歴史の記憶がつながると大きな期待が寄せられています。
新宿区の花「つつじ」は大久保のつつじにちなんだものといわれています。
90年ぶりの「大久保つつじ」の里帰りをみんなで祝いたいですね。