有栖川宮記念公園と忠臣蔵の関係

港区南麻布5-7にある有栖川宮記念公園(ありすがわみやきねんこうえん)は、寛永の頃から常陸笠間藩浅野家 (ひたちかさまはん)5万3500石の下屋敷がありました。
あの忠臣蔵で有名な浅野家であり、正保2年(1645年)、常陸笠間藩から播州赤穂藩(5万3500石)に転封(領地換え)になります。

明暦2年(1656年)、陸奥盛岡藩南部家の赤坂屋敷と播州赤穂藩浅野家の下屋敷は相対替(等価交換)をすることになり、浅野家は赤坂へ、南部家は麻布へと移ります。

約50年後の元禄15年(1702年)、大石内蔵助は赤坂の南部坂(港区赤坂2丁目22)で「南部坂雪の別れ」をしますが、相対替がなければ麻布が舞台になっていたかもしれません。

南部家は麻布に移りましたが、赤坂には坂名だけ現在も残っています。
そして幕末を迎え、 明治5年には麻布の盛岡藩邸跡地を麻布盛岡町と呼んでいました。

1896年(明治29)有栖川宮威仁(たけひと)親王の新邸御用地となり、1913年(大正2)『高松宮(たかまつのみや)・昭和天皇の弟宮』に受け継がれました。

1934年(昭和9)高松宮から東京市に公園として寄贈され、 その御用地約11000坪 (36325㎡)が有栖川宮記念公園として開園されました。
その後、都立中央図書館(資料蔵書120万冊)等を編入し、現在は面積67560㎡の 区立公園となっています。

園内は、麻布台地の地形を利用し東側の台地部と西北側の低地帯から成っています。
園内中央を小川が流れ下っていて変化に富む景観は日本古来の林泉修景式の庭園です。
公園の南側の坂も盛岡藩南部家に因み南部坂と呼び、赤坂と麻布と2つの南部坂があります。

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