八丁堀駅

「八丁堀駅」世界一の利用者を誇る

寛永年間(1624~1644年)に船を通すため、海口より長さ八町(約872m)の堀を作ったことに由来する。当初は「八町堀」と呼ばれていたが、その後、「町」が略字の「丁」となった。1931年(昭和6年)、町名として「八丁堀」が誕生した。

電車情報

【乗り入れ路線】・東京メトロ日比谷線・京葉線・武蔵野線
【停車列車種類】快速・通勤快速・各駅
【ターミナル駅までのアクセス】・東京駅まで1分・上野駅まで10分
【1日平均利用者数】130,439人(2011年)

八丁堀駅の歴史

1963年 帝都高速度交通営団(営団地下鉄)日比谷線人形町駅 - 東銀座駅間開通と同時に日比谷線の駅が開業。
1990年 JR東日本京葉線新木場駅 - 東京駅間開通と同時に京葉線の駅が開業し、乗換駅となる。京葉線建設時の仮称は『新八丁堀駅』。
2004年 営団地下鉄民営化に伴い日比谷線の駅は東京メトロに継承される。

八丁堀駅エリアの雑学

八丁堀
必殺仕事人、八丁堀の七人、などの時代劇に登場する「八丁堀の旦那」。 八丁堀の旦那が勤める奉行所の人は、与力、同心、岡っ引きの親分と続きました。 奉行所の管理職である与力は「上級武士」で、その部下が、同心で「下級武士」でした。 同心は、与力の補佐役を努めて、十手を持つ岡っ引きとも目明かしとも呼ばれる人を指揮して、捕り物を指揮しました(現在の警部あたりになるのかも知れません)。 ちなみに、現在の八丁堀(現・東京都中央区)に、同心の住まいである官舎(役宅)が集まっていたことから、八丁堀の旦那、という言葉は生まれたのです。

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