学芸大学駅に大学がない理由と駅名の変遷の謎

学芸大学駅
学芸大学駅と聞くと「大学が近くにあるの?」と疑問に思う方も多いはず。しかし、実は駅の周辺に東京学芸大学は存在しません。なぜこの駅名が誕生し、今も変わらず使われ続けているのでしょうか?今回は、学芸大学駅の名前の由来や歴史、そして駅名変更をめぐる住民投票の舞台裏まで、深掘りしてご紹介します。

学芸大学駅名の由来と歴史を紐解く

学芸大学駅の前身「碑文谷駅」から始まる物語

学芸大学駅の歴史は、1927年(昭和2年)の東急東横線開通時に「碑文谷駅」としてスタートしました。碑文谷は、駅周辺の地名であり、現在も碑文谷公園などにその名残が見られます。当時は、地域のランドマークとして親しまれていましたが、駅名はその後大きく変わっていくことになります。

大学の移転とともに変わる駅名

1936年(昭和11年)、青山にあった東京学芸大学の前身「東京府青山師範学校」がこの地に移転してきたことをきっかけに、駅名は「青山師範駅」に改称されました。その後、1943年(昭和18年)には学校名の変更に合わせて「第一師範駅」となり、さらに1952年(昭和27年)には「学芸大学駅」となりました。駅名は学校の変遷と密接に関わっていたのです。

学芸大学駅に大学がない理由とその後の混乱

東京学芸大学の小金井市への移転

駅名の由来となった東京学芸大学は、1964年(昭和39年)に東京都小金井市へ移転してしまいます。にもかかわらず、駅名は「学芸大学駅」のまま残されることになりました。このため、駅周辺に大学がないという“名前と実態のズレ”が生まれ、利用者や受験生の間で混乱が生じることとなります。

受験生や利用者の誤解と報道

大学移転後も、地方からの受験生が「学芸大学駅」に降りてしまい、試験会場を間違えるという事例がたびたび報道されました。また、大学には毎年のように親御さんから「大学の場所を教えてほしい」という問い合わせが寄せられていたそうです。

駅名変更をめぐる住民投票と現在

駅名変更案とその背景

こうした混乱を受けて、東急電鉄では「誤解を招く駅名をこのまま続けてよいのか」という議論が持ち上がりました。1999年(平成11年)には、住民や駅利用者を対象に駅名変更の是非を問う投票が実施されることになりました。

住民投票の結果と駅名存続の理由

投票の結果、駅名変更に賛成したのは37%にとどまり、3分の2以上の賛成が必要という条件を満たすことができませんでした。そのため、駅名は「学芸大学駅」のまま存続することが決定しました。地域住民や利用者の間では、長年親しまれてきた駅名への愛着やブランドイメージも大きかったようです。

学芸大学駅の今と街の魅力

学生街のイメージと実際の街の姿

「学芸大学駅」と聞くと学生街を想像する人も多いですが、現在の駅周辺には大学はありません。その代わり、駅前には活気ある商店街が広がり、都心へのアクセスの良さも相まって、住みやすい街として人気を集めています。若者からファミリー層まで幅広い世代が暮らす、落ち着いた住宅街が広がっています。

学芸大学駅のこれから

今後も「学芸大学駅」は、地域の人々に愛される駅として、その歴史とともに歩み続けていくでしょう。駅名の由来を知ることで、日々利用する駅や街に対して新たな発見や親しみを感じられるはずです。

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