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学芸大学駅名の由来と歴史を紐解く
学芸大学駅の前身「碑文谷駅」から始まる物語
学芸大学駅の歴史は、1927年(昭和2年)の東急東横線開通時に「碑文谷駅」としてスタートしました。碑文谷は、駅周辺の地名であり、現在も碑文谷公園などにその名残が見られます。当時は、地域のランドマークとして親しまれていましたが、駅名はその後大きく変わっていくことになります。#イマソラ #目黒区 #鷹番#碑文谷公園
— taka (@mitsuyukitaka) April 24, 2025
快晴☀鯉のぼり青空☀
目黒区の碑文谷公園の池の上に
たくさんの鯉のぼり〜揺らめいてます(^o^)
餌はあげたらダメみたいですよ pic.twitter.com/PNrjw8Uqdi
大学の移転とともに変わる駅名
1936年(昭和11年)、青山にあった東京学芸大学の前身「東京府青山師範学校」がこの地に移転してきたことをきっかけに、駅名は「青山師範駅」に改称されました。その後、1943年(昭和18年)には学校名の変更に合わせて「第一師範駅」となり、さらに1952年(昭和27年)には「学芸大学駅」となりました。駅名は学校の変遷と密接に関わっていたのです。学芸大学駅に大学がない理由とその後の混乱
東京学芸大学の小金井市への移転
駅名の由来となった東京学芸大学は、1964年(昭和39年)に東京都小金井市へ移転してしまいます。にもかかわらず、駅名は「学芸大学駅」のまま残されることになりました。このため、駅周辺に大学がないという“名前と実態のズレ”が生まれ、利用者や受験生の間で混乱が生じることとなります。次は学芸大学で降車。
— μ'TECHエンタープライズ 小泉事業所 (@muetech_pana) July 28, 2024
駅名の由来となった東京学芸大学は1964年に小金井市へ移転済みだが、東京学芸大学附属高校は当駅が最寄り駅である。#東急東横線 pic.twitter.com/pldFux8A7c