徳川家光が命名?井の頭池の由来と神田川の源流の知られざる物語

井の頭池の由来と神田川
東京の喧騒から少し離れた場所に、江戸時代から続く歴史と自然が息づく公園があります。井の頭恩賜公園は、単なる都会のオアシスではありません。江戸の水道の源として、そして日本初の郊外公園として、多くの秘密を隠し持つ魅力的なスポットなのです。今回は、この公園に隠された歴史と、現代における役割について深掘りしていきましょう。

井の頭公園の歴史と成り立ち

日本初の郊外公園としての誕生

井の頭恩賜公園は、大正2年(1913年)に日本で最初の郊外公園として計画的に整備されました。当時の東京は急速に発展しており、都市部から少し離れた場所に自然を楽しめる空間を作る必要がありました。この公園は、そんな時代の要請に応える形で誕生したのです。

江戸時代からの重要性

しかし、この地域の重要性は江戸時代にまでさかのぼります。徳川家康が江戸城に入城した天正18年(1590年)、家康はすぐに上水の整備を命じました。その命を受けた大久保忠行は、武蔵野最大の湧水池である井の頭池を水源として利用することを決めたのです。
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神田上水と井の頭池の関係

江戸の水道の始まり

大久保忠行が整備した水路は「神田上水」と呼ばれ、江戸の水道の始まりとなりました。井の頭池を源とするこの水路は、江戸市中に新鮮な水を供給する重要な役割を果たしました。この功績により、大久保は家康から「主水」の名を賜ったと伝えられています。

神田上水の長期にわたる貢献

神田上水は、明治31年(1898年)に「改良水道」が完成するまで、300年以上にわたって江戸・東京の人々の生活を支え続けました。現在の神田川の源流が井の頭池であることからも、その歴史的つながりを感じることができます。

井の頭池にまつわる逸話と現在の姿

徳川家光による命名説

「井の頭池」という名前の由来には興味深い逸話があります。3代将軍徳川家光が命名したという説が有力で、寛永6年(1629年)に鷹狩りで訪れた際、湧き出す泉を見て「井の頭」と名付けたとされています。その名を近くのコブシの木に刻んだという伝説まであるほどです。

現代における井の頭公園の役割

時代とともに周辺環境は変化し、かつての「郊外」という雰囲気は薄れてきましたが、井の頭公園は今でも都民の重要な憩いの場となっています。公園は井の頭池とその周辺、雑木林と自然文化園のある御殿山、運動施設のある西園、そして第二公園の4つのエリアに分かれており、多様なニーズに応える空間となっています。

井の頭池の由来と神田川

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