日本一の高層建築物だった

現在の皇居は皆様ご存知かと思いますが、その昔、徳川将軍家の居城「江戸城」でした。

完成時の江戸城は、五層六階(地下室がありました)の約60メートルの 高さがあり当時日本最大の木造高層建築物でした。
大阪城の倍の面積があり、将軍様のお成りになる天守閣として空前絶後の威容を誇りました。
しかし、四代将軍徳川家綱(1641~1680)の時代、1657年(明暦3年)の振袖火事とよばれる大火の際に焼失しつしてしまい、以後再建されませんでした。

当時の江戸城は、屋根を白っぽいスズの合金でふき、軒下の部分が白の漆喰と黒板。
火除けには、有名な名古屋の鯱(しゃちほこ)を凌ぐ(江戸城の物は、 高さ3メートル)鯱が付いていました。

家康が初めて江戸城に入城した時は、どのような城だったでしょう。
当時の記録では、城と言っても形ばかりで石垣を築いた場所もなく、芝生をは った土手があるだけでした。
城自体も、屋根は腐り雨が降ると天井から雨水が落ち、畳は、泥だらけのブカ ブカ状態で玄関も板張りではなく土間でした。
あまりの荒廃ぶりに家康公は、ビックリしたそうです。
東の方には、カヤが生いしげる遠浅の入り江や湿地帯がつづき、侍屋敷を割り振る余地もなく、西南の方角には、見渡す限り原っぱ。
人家は、大手門のあたりに百戸あるかないかという寂しいところでした。

現在の、日本橋から京橋、銀座、築地の辺は、海中に点々と洲をつくりとても人が住めるような所ではなかったそうです。
このような状態から徳川家康は全国の大名に命じて天下一の城にしたのです。

まさに徳川家の力を象徴するような大事業でした。