江戸時代はリサイクル社会?布団も鍋も借りる、江戸っ子のレンタル生活

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「リサイクル」「レンタル」」や「シェアサービス」と聞くと、いかにも現代的な仕組みに思えます。ところが江戸時代の人々は、今よりずっと前から「買うより借りる」暮らしを当たり前にしていました。生活に必要なものの多くをレンタルできたのです。
それは、ただ貧しかったからではありません。江戸ならではの事情に合った、とても現実的な暮らし方でした。
そんな江戸の「借りる文化」と「使い倒す文化」をご紹介します。

江戸の庶民は、そもそも物をあまり持たなかった

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長屋暮らしに、大量の荷物は向いていない

江戸時代の庶民の多くは、長屋と呼ばれる集合住宅で暮らしていました。
現代でいうと、かなりコンパクトなアパートのような住まいです。

当然、収納スペースは限られています。
現代のように、季節家電、来客用布団、冠婚葬祭用の服、調理器具一式をしまっておく余裕は、なかなかありません。

そこで便利だったのが、必要なものをその都度借りるという暮らし方です。

ふだん使わないものは持たない。
必要になったら借りる。
使い終わったら返す。

今の感覚で見ると、かなり身軽な暮らし方です。

江戸は「持ち物が多いほど安心」とは限らない町だった

江戸でレンタル文化が広がった背景には、江戸ならではの事情もありました。

大きな理由のひとつが、火事の多さです。
江戸はたびたび大火に見舞われた町でした。
家財道具をたくさん持っていても、火事で一瞬にして失ってしまうことがあります。

そう考えると、高価な道具をあれこれ買い込むより、必要なときに借りるほうが気楽だったとも言えます。

また、江戸には地方から来た職人や奉公人、単身赴任の武士なども多く暮らしていました。
長く住むかわからない人にとって、家具や生活道具を一式そろえるのは大変です。

江戸のレンタル文化は、そんな人たちにとっても便利な仕組みでした。

布団まで借りられた?江戸のレンタル品あれこれ

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来客用の布団は、買うより借りる

江戸には「貸し布団屋」という商売がありました。

急に親戚が泊まりに来る。
季節が変わって、厚い布団が必要になる。
何人か泊まる客がいる。

そんなときに、わざわざ布団を買わず、必要な分だけ借りることができました。

現代でも、来客用の布団を持っていない家庭は少なくありません。
使うのは年に数回なのに、収納場所だけはしっかり取る。
そう考えると、江戸の「布団は借りる」という発想は、なかなか合理的です。

服も借りる。特別な日の衣装も借りる

衣類もレンタルの対象でした。

普段着はもちろん、特別な場面で着る衣装も、買うのではなく借りることがありました。
今でいうレンタル着物やレンタルドレスのような感覚です。

特に晴れ着や婚礼衣装のようなものは、何度も使うわけではありません。
それなら、必要なときだけ借りるほうが都合がいい。

現代でも、成人式の振袖や結婚式の衣装をレンタルする人は多くいます。
その感覚は、江戸の町にもすでにあったのです。

鍋や釜までレンタルできた

さらに面白いのは、鍋や釜といった調理道具まで借りられたことです。

ふだんは少人数で暮らしていても、行事や集まりのときだけ大きな鍋が必要になることがあります。
そんなときに、毎回買うのはもったいない。
そこで貸し道具屋の出番です。

今でいえば、パーティー用の調理器具やキャンプ用品をレンタルするようなもの。
江戸の町には、日常のちょっとした不便を埋める貸し商売がいくつも存在していました。

冠婚葬祭もレンタルでまかなう江戸の町

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結婚式の道具も“必要なときだけ”

江戸のレンタル文化は、日用品だけではありません。
結婚式や葬儀のような大きな行事にも、貸し道具が活躍していました。

婚礼衣装、飾り、儀式に使う道具などは、専門の業者から借りることができました。
一生に何度も使うものではないため、買いそろえるより借りるほうが自然だったのです。

今の結婚式でも、衣装、装花、装飾、音響、会場設備などは、多くがレンタルやパッケージで用意されます。
江戸の人々も、特別な日のために「全部買う」わけではありませんでした。

葬儀道具も貸し出されていた

葬儀に必要な道具も、貸し出しの対象でした。

突然必要になるものだからこそ、専門業者が用意してくれる仕組みは便利です。
現代の葬儀サービスに近い考え方が、江戸の町にもすでにあったと言えます。

こうして見ると、江戸のレンタル文化はかなり幅広いものだったことがわかります。
日用品から人生の大きな行事まで、江戸の町には「借りて済ませる」仕組みが整っていたのです。



壊れても終わりじゃない。江戸の修理屋が細かすぎる

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鍋や釜は、穴があいても直して使う

江戸の町では、物が壊れたからといって、すぐに捨てるわけではありませんでした。
そこで活躍したのが、町を回る修理職人たちです。

たとえば「鋳掛屋」は、鍋や釜などの金物を直す職人です。
穴があいた鍋や、傷んだ釜を修理して、もう一度使えるようにしました。鍋や釜は毎日の食事に欠かせない道具ですから、庶民にとってはまさに生活インフラの修理屋だったわけです。鋳掛屋のほかにも、桶のたがを直す「たがや」、かまどを修理する竈師など、かなり細かく専門が分かれていました。

現代なら「買い替えたほうが早い」となりそうなものでも、江戸では直して使うのが当たり前。
町の中には、暮らしの小さな故障に対応する職人がたくさんいたのです。

茶碗が割れても、まだ出番はある

割れた陶器を直す職人もいました。
「焼き継ぎ屋」と呼ばれる職人は、割れたり欠けたりした茶碗や皿をつなぎ直しました。

今でも「金継ぎ」という技法が知られていますが、江戸の庶民にとっては、器を美しく飾るというより、まずは日用品をもう一度使うための実用的な修理でした。
資料によると、白玉粉を使って陶磁器を焼き継ぐ方法もあったとされています。

お気に入りの茶碗を落としてしまった。
でも、すぐには捨てない。
直してまた食卓に戻す。

江戸の台所には、そんな「物の延命」が普通にあったのです。

下駄は“歯”だけ交換できた

江戸の庶民にとって、下駄は日常の履物でした。
当然、歩けば歩くほど底がすり減ります。

そこで登場するのが、下駄の歯を入れ替える職人です。
下駄は本体ごと捨てるのではなく、すり減った歯の部分だけを交換して使い続けることができました。雪駄の場合も、裏の皮を張り替えて修理していたとされています。

今でいうと、靴のかかと修理やソール交換のようなものです。
江戸の町では、履物まできちんとメンテナンスされていました。

煙管もパーツ交換する

江戸らしい修理職人のひとつに「羅宇屋」があります。
羅宇屋は、煙管の竹の部分を交換する職人です。煙管は金属の吸い口と雁首、その間をつなぐ竹の管でできており、この竹の部分を「羅宇」と呼びました。傷んだ羅宇を交換することで、煙管を長く使えたのです。

いわば、江戸の喫煙具メンテナンス業者。
煙管をまるごと買い替えるのではなく、傷んだ部分だけ交換するという発想です。

江戸の修理文化は、かなりパーツ交換に近い考え方でもありました。

古着屋は江戸のファッションを支えていた

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新品の服より、古着が普通だった

江戸時代の庶民にとって、服は高価なものでした。
そのため、最初から新品を仕立てるより、古着を買うことが一般的でした。

江戸には古着屋があり、さらに古着を買い集める業者、仕立て直す業者なども存在していました。古着の回収、販売、再生が分業化されていたという点は、かなり本格的です。

つまり江戸の古着屋は、単なる中古品販売ではありません。
服を集め、直し、サイズを変え、また誰かに売る。
江戸の町には、古着を循環させる仕組みができていました。

大人の服が、子ども服になり、最後は雑巾になる

江戸の服は、一度着たら終わりではありません。

大人が着た服が傷んでくると、あて布をして直す。
さらに擦り切れると、丈を詰めて子ども用に仕立て直す。
それでも着られなくなると、おむつや雑巾として使う。
最後には、かまどの焚き付けになることもありました。

すごいのは、ここで終わらないことです。

布を燃やして出た灰にも、まだ価値がありました。
灰は肥料などに使われたため、灰を買い集める業者もいたのです。

服が、古着になり、子ども服になり、雑巾になり、燃料になり、最後は灰として売られる。
江戸の服は、役目を変えながらかなり長く使い倒されていました。



古道具屋と回収業者が、町の裏側を動かしていた

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紙くずまで買い取る「紙屑買い」

江戸では、紙も貴重な資源でした。
使い終わった紙は、紙屑買いが回収し、種類ごとに分けて、再び紙にするために回されました。和紙は繊維が長く、漉き直して再生しやすかったとされています。

子どもが字の練習をするときも、紙が真っ黒になるまで使ったと言われます。
使い終わった紙もただのゴミではなく、また紙になる材料でした。

安価な再生紙として知られる「浅草紙」も、こうした紙のリサイクルと関係しています。
紙くずまで商売になるというのは、江戸の町の細かさがよくわかるエピソードです。

灰にも値段がついた

江戸では、かまどから出る灰も商品でした。
「灰買い」と呼ばれる業者が灰を買い集め、肥料などとして売っていました。灰は染色や土壌改良、焼き物の釉薬などにも使われたとされています。

面白いのは、普通なら「捨てるもの」と思いがちな灰まで、ちゃんと流通していたことです。

江戸の台所から出た灰が、畑や工芸に回っていく。
まるで町全体がひとつの循環システムのようです。

壊れた傘も、まだ使い道がある

傘もまた、回収と再利用の対象でした。

江戸時代の傘は、竹の骨に油紙を張ったものです。
壊れた傘は「古傘買い」が引き取り、骨や紙が再利用されました。破れた油紙は味噌や魚などを包む包装紙に、折れた骨は燃料などに利用されたとされています。

傘としては役目を終えても、包装紙になったり、燃料になったりする。
今の感覚で見ると、かなり徹底しています。

空き樽も、ほうきも、ろうそくの垂れた蝋まで売れる

江戸の回収業は、とにかく細かいです。

酒や醤油などに使われた樽は、空き樽買いが回収し、再利用されました。
古くなったほうきは、交換されたあと、縄やたわしに作り直されることもありました。
さらに、ろうそくから流れ落ちた蝋を集め、溶かして再びろうそくにする商売までありました。

ここまでくると、「何でも商売になる町」と言いたくなります。

空き樽、灰、古傘、紙くず、古着、ろうそくの残り。
江戸の町では、一見するとゴミに見えるものにも、次の行き先が用意されていました。

贈答品を売買する「献残屋」という商売もあった

少し変わった商売として、「献残屋」というものもありました。
これは、もらった贈答品を買い取り、それをまた贈り物として必要な人に売る商売です。扱われたものには、熨斗アワビや葛粉など、日持ちする品が多かったとされています。

今でいうと、いただきもの専門のリユースショップのような存在です。

もらったけれど、自分では使わない。
でも、品物としてはまだ立派。
それを買い取り、別の誰かの贈答品としてまた流通させる。

なかなかしたたかで、商売上手な江戸らしい仕組みです。

江戸の町は、思った以上にレンタルとリユースの町だった

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江戸時代の庶民は、何でも買いそろえて暮らしていたわけではありません。

布団を借りる。
衣装を借りる。
鍋や釜を借りる。
結婚式や葬儀の道具も借りる。

そして、壊れたものは直す。
古くなった服は仕立て直す。
紙くずも灰も古傘も、まだ使えるものとして回収される。

江戸の町には、貸す人、直す人、買い取る人、作り直す人がいました。
それぞれの商売が細かく分かれ、庶民の暮らしを支えていたのです。

「サブスク」や「リユース」という言葉はもちろんありません。
でも、必要なものを借り、壊れたら直し、使い終わったものをまた別の形で回すという感覚は、江戸の町にしっかり根付いていました。

そう考えると、江戸の暮らしは少し窮屈そうに見えて、実はかなりしたたかで、便利で、よくできた仕組みだったのかもしれません。



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