目次
裏参道の誕生と初期の姿
明治神宮創建と二つの参道
大正9年、明治神宮の創建に伴い、東京市によって表参道と裏参道が整備されました。表参道が青山通りから明治神宮へと続く主要な参拝路として設計されたのに対し、裏参道は内苑の北参道入口からJR千駄ケ谷駅前を経て、外苑の西北隅までを結ぶ「内外苑連絡道路」として計画されました。神宮外苑と内苑は裏参道(北参道)で接続しているのも中々面白い。
— さや🌈 (@RetroSayaFuture) June 17, 2024
当初その外苑と接続している北参道を正門とする予定が
鬼門(北東方向)にあたるので
現在の表参道になったというのも知らなかった。 pic.twitter.com/zP7bhFqTLR
裏参道の特徴的な設計
裏参道は、当時としては珍しい乗馬道として整備されました。二列植栽の公園道路という特徴的な設計で、馬の専用道路として機能することが期待されていました。しかし、信濃町から千駄ヶ谷を通る線路沿いという立地のため、実際には乗馬道としてはあまり適していなかったようです。表参道と裏参道の対照的な発展
表参道の繁栄
表参道は、当初は狭い砂利道でしたが、大正15年には有名な「同潤会アパート」が道路沿いに建設され、徐々に発展していきました。戦後には地下鉄の駅(明治神宮前駅と表参道駅)が開業し、青山と原宿を結ぶ賑やかな通りへと変貌を遂げました。現在では、高級ブランドショップや洗練されたカフェが立ち並ぶ、東京を代表する商業地域となっています。1996年、東京・表参道にあった同潤会アパート(2003年解体、現・表参道ヒルズ) pic.twitter.com/SNrHVMNWtx
— ちょっと昔の日本の景色bot (@japan80to00) April 19, 2024
裏参道の衰退
一方、裏参道は表参道とは対照的な運命をたどりました。昭和3年には乗馬道としての機能が失われ、その存在感は徐々に薄れていきました。戦後、かつての乗馬道部分は首都高速道路の一部となり、「裏参道」という名前は人々の記憶から消えていきました。現在では、その痕跡を見つけることすら難しくなっています。裏参道の現在と未来
残された痕跡を探る
現在、裏参道の名残を見ることができる場所として、JR山手線の高架下に「裏参道ガード」というプレートが残されています。この小さな痕跡が、かつての裏参道の存在を静かに物語っています。また、明治神宮の北参道入口付近では、昔の面影を感じさせる静かな雰囲気が残されています。裏参道という名称が見られるのはもはや山手線のガード下の表示だけ。
— たかたび (@tycattrip35) April 11, 2021
ディープな雰囲気が漂います。#東京散歩#東京さんぽ#北参道#渋谷区 pic.twitter.com/KohPDy52mh
裏参道の再評価と活用の可能性
近年、都市の歴史や文化遺産への関心が高まる中、裏参道の歴史的価値が再評価されつつあります。地域の歴史を学ぶ散策路として活用したり、新たな観光スポットとして整備するなど、裏参道の魅力を現代に蘇らせる取り組みが期待されています。失われた乗馬道の面影を生かした緑地空間の創出など、都市計画の観点からも注目される可能性があります。表参道周辺の不動産(一戸建て・マンション・土地・事業用物件)を探す