表参道と裏参道、明治神宮の二つの顔を探る

表参道と裏参道
明治神宮の表参道は多くの人が知る東京の名所ですが、その影に隠れた「裏参道」の存在をご存知でしょうか?かつて乗馬道として整備されたこの道路には、表参道とは対照的な運命が待ち受けていました。今回は、知られざる裏参道の歴史と、その変遷を紐解いていきます。

裏参道の誕生と初期の姿

明治神宮創建と二つの参道

大正9年、明治神宮の創建に伴い、東京市によって表参道と裏参道が整備されました。表参道が青山通りから明治神宮へと続く主要な参拝路として設計されたのに対し、裏参道は内苑の北参道入口からJR千駄ケ谷駅前を経て、外苑の西北隅までを結ぶ「内外苑連絡道路」として計画されました。

裏参道の特徴的な設計

裏参道は、当時としては珍しい乗馬道として整備されました。二列植栽の公園道路という特徴的な設計で、馬の専用道路として機能することが期待されていました。しかし、信濃町から千駄ヶ谷を通る線路沿いという立地のため、実際には乗馬道としてはあまり適していなかったようです。

表参道と裏参道の対照的な発展

表参道の繁栄

表参道は、当初は狭い砂利道でしたが、大正15年には有名な「同潤会アパート」が道路沿いに建設され、徐々に発展していきました。戦後には地下鉄の駅(明治神宮前駅と表参道駅)が開業し、青山と原宿を結ぶ賑やかな通りへと変貌を遂げました。現在では、高級ブランドショップや洗練されたカフェが立ち並ぶ、東京を代表する商業地域となっています。

裏参道の衰退

一方、裏参道は表参道とは対照的な運命をたどりました。昭和3年には乗馬道としての機能が失われ、その存在感は徐々に薄れていきました。戦後、かつての乗馬道部分は首都高速道路の一部となり、「裏参道」という名前は人々の記憶から消えていきました。現在では、その痕跡を見つけることすら難しくなっています。

裏参道の現在と未来

残された痕跡を探る

現在、裏参道の名残を見ることができる場所として、JR山手線の高架下に「裏参道ガード」というプレートが残されています。この小さな痕跡が、かつての裏参道の存在を静かに物語っています。また、明治神宮の北参道入口付近では、昔の面影を感じさせる静かな雰囲気が残されています。

裏参道の再評価と活用の可能性

近年、都市の歴史や文化遺産への関心が高まる中、裏参道の歴史的価値が再評価されつつあります。地域の歴史を学ぶ散策路として活用したり、新たな観光スポットとして整備するなど、裏参道の魅力を現代に蘇らせる取り組みが期待されています。失われた乗馬道の面影を生かした緑地空間の創出など、都市計画の観点からも注目される可能性があります。

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