相撲だけじゃない!江戸の人々が夢中になったスポーツと遊び

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江戸時代のスポーツと聞くと、多くの人がまず思い浮かべるのは「相撲」ではないでしょうか。
たしかに相撲は、江戸の人々を熱狂させた大人気コンテンツでした。ですが、江戸のスポーツ文化はそれだけではありません。
武士の流鏑馬や、正月の羽根突きや凧揚げ。現代の剣道やボール遊びにつながるような競技まで。
江戸の人々は、体を動かし、技を競い、仲間と笑い合い、時には観客として熱狂していました。
今の東京の地名と重ねて見てみると、江戸のスポーツ的な遊びは、意外なほど身近に感じられます。

江戸時代の人々にとって「スポーツ」は何だったのか

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現代では、スポーツというと「勝ち負けを競う競技」や「健康のための運動」を思い浮かべます。
しかし江戸時代には、そもそも今のような「スポーツ」という言葉や考え方は、まだ一般的ではありませんでした。
では、江戸の人々は体を動かす遊びや競技を、どのように楽しんでいたのでしょうか。

大きく分けると、江戸時代の“スポーツのようなもの”には、いくつかの顔がありました。

ひとつは、「見て楽しむ娯楽」です。
代表的なのが相撲です。人気力士の勝敗に一喜一憂し、会場の熱気を味わう相撲は、江戸の人々にとって大きな娯楽でした。今でいうスポーツ観戦に近い楽しみ方だったといえるでしょう。

もうひとつは、「武士の鍛錬」です。
楽しむためだけでなく、馬を操る力、弓を射る正確さ、刀を扱う技術を身につけることが大きな目的だったのです。

そして庶民にとっては、「遊びであり、季節行事であり、交流の場」でもありました。
勝ち負けだけではなく、厄払い、縁起担ぎ、町内のにぎわいといった意味もありました。

勝つことだけが目的ではなく、見る、集まる、笑う、技を磨く、縁起を担ぐ。
そうしたさまざまな楽しみが重なっていたところに、江戸時代ならではの身体文化の面白さがあります。

現代のスポーツが「競技」としたら、江戸のスポーツ的な遊びはもっと「暮らし」に近いものでした。

江戸時代のスポーツは、相撲だけじゃなかった

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両国は、江戸の人々が熱狂した“スポーツの聖地”だった

江戸時代のスポーツを語るうえで、やはり相撲は外せません。

特に現在の東京都墨田区・両国周辺は、江戸の相撲文化を象徴する場所です。回向院では、寺社の修復費などを集めるための「勧進相撲」が行われ、多くの見物客でにぎわいました。

今でこそ両国といえば国技館のイメージがありますが、その原点は江戸時代にまでさかのぼります。

当時の人々にとって相撲は、単なる力くらべではありませんでした。
人気力士を応援し、勝敗に一喜一憂し、会場の熱気を楽しむ。まさに江戸版のスポーツ観戦です。

今の両国を歩くとき、かつてここに大勢の江戸っ子が集まり、土俵に声援を送っていたと想像すると、街の見え方が少し変わってきます。

武士たちの本格スポーツ「流鏑馬」と「笠懸」

一方で、武士の世界にもスポーツに近い競技がありました。代表的なのが流鏑馬(やぶさめ)です。

流鏑馬は、走る馬の上から的に向かって矢を放つ武芸です。馬を操る技術、弓を扱う技術、そして一瞬の判断力が求められる、非常に高度な競技でした。

現代でも、渋谷区の明治神宮などで奉納行事として見ることができます。静かな境内を馬が駆け抜け、弓矢が的を射抜く光景は、今見ても迫力があります。

また、流鏑馬に近い騎射の競技として「笠懸(かさがけ)」もあります。
これは馬で疾走しながら的を射る武芸で、もともとは笠を的にして射たことが名前の由来とされています。

流鏑馬が儀式的な美しさを感じさせる競技だとすれば、笠懸はより実戦的な雰囲気を持つ競技ともいえます。馬のスピード、弓の正確さ、姿勢の安定感。そのすべてがそろって初めて成立する、武士ならではの高度なスポーツでした。

現代の感覚でいえば、乗馬、アーチェリー、スピード競技が一体になったようなもの。江戸の武士たちは、ただ刀を振るだけでなく、馬を操りながら正確に矢を放つという、かなりアスリート的な能力も磨いていたのです。



庶民も夢中になった、江戸の遊びとスポーツ

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浅草の正月をにぎわせた「羽根突き」

江戸の庶民が楽しんだスポーツ的な遊びとして、まず挙げたいのが羽根突きです。

現在の台東区・浅草寺周辺では、正月になると羽子板を手にした人々でにぎわいました。羽根を打ち合い、落とした人の顔に墨を塗るという遊び方もよく知られています。

今でいうと、バドミントンに罰ゲームを足したような遊びです。

ただし、羽根突きは単なる遊びではありませんでした。羽子板で羽根を打つ音には、邪気を払う意味があるとされ、正月の厄払いとしても親しまれていました。

さらに、羽根に使われる黒い玉には「無患子(むくろじ)」という木の実が使われることがありました。「子どもが患わない」という字が入っていることから、子どもの健やかな成長を願う意味も重ねられていたといわれています。

つまり江戸の人々にとって羽根突きは、
「遊べる」
「笑える」
「縁起もいい」
という、かなり優秀な正月イベントだったのです。

羽根を落としてしまった子どもが、顔に墨を塗られて大笑いされる。
それでもまた羽子板を握って、もう一勝負。
浅草の正月には、そんなにぎやかな声が響いていたのかもしれません。

隅田川沿いは、江戸の“凧揚げスポット”だった

冬の江戸で人気だった遊びのひとつが凧揚げです。

特に隅田川沿いのような広い空が見える場所では、子どもから大人まで凧揚げを楽しみました。江戸の空に色とりどりの凧が舞う光景は、かなり華やかだったはずです。

しかも江戸の凧揚げは、ただ空に揚げて楽しむだけではありません。
大きさや絵柄を競ったり、相手の凧糸を切り合うような遊び方が行われたりと、大人も本気になる娯楽でした。

あまりに熱中する人が多かったため、凧揚げはたびたび規制の対象にもなりました。
江戸の人々にとって凧揚げは、子どもの遊びというより、町ぐるみで盛り上がる冬の一大イベントだったのです。

面白いのは、庶民の側もなかなかしたたかだったことです。
凧は地域や時代によって「いかのぼり」と呼ばれることもありました。禁止や制限があっても、呼び名や形を少し変えながら遊びを楽しもうとするところに、江戸っ子らしい遊び心が感じられます。

今でいえば、流行りすぎた遊びが社会現象になり、注意されても名前やルールを変えて続いていくようなもの。

現代の東京では、電線や建物の関係で自由に凧を揚げられる場所は限られています。だからこそ、江戸時代の隅田川沿いに広がっていた大きな空を想像すると、少し羨ましくも感じます。

江戸の大人が楽しんだ、粋なゲーム「投扇興」

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江戸時代には、静かに楽しむ“知的スポーツ”のような遊びもありました。
その代表が投扇興(とうせんきょう)です。

投扇興は、扇子を投げて的を倒し、その倒れ方や形で得点を競う遊びです。日本橋や吉原など、江戸の大人の社交場で親しまれました。

イメージとしては、ダーツとボードゲームを足して、そこに江戸らしい優雅さを加えたようなものです。

この遊びの面白いところは、ただ的に当てればいいわけではないところです。
扇子、的、台の倒れ方によって得点が変わるため、偶然の美しさも勝敗に関わります。

力いっぱい投げれば勝てる、という単純なゲームではありません。
ふわりと扇子を投げる手つき、落ち方を読む感覚、そして場の空気を楽しむ余裕。まさに“粋”が問われる遊びでした。

さらに、点数の名前には『源氏物語』にちなんだ呼び名が使われることもありました。つまり投扇興は、運動神経だけでなく、教養や遊び心まで含めて楽しむ“江戸の大人のゲーム”だったのです。

お酒の席や座敷で、扇子がひらりと飛ぶ。
的が倒れた瞬間に、「今のは見事」「いや、惜しい」と周囲が盛り上がる。
そんな場面を想像すると、江戸の社交場のにぎわいが少し見えてきます。

子どもたちの遊び「手まり」は、江戸のボール遊び

もっと庶民的な遊びとしては、手まりやまりつきのようなシンプルなボール遊びもありました。

特別な道具や広い場所がなくても楽しめるため、子どもたちの間で親しまれていました。まりをつく、投げる、受ける、追いかける。こうした動きは、現代のキャッチボールやドッジボールにも通じるものがあります。

江戸の町には、今のような公園や運動場が整っていたわけではありません。
それでも子どもたちは、路地や空き地、寺社の境内など、身近な場所を遊び場に変えていました。

大人たちが相撲や凧揚げに熱中したように、子どもたちもまた、自分たちなりのルールを作って遊んでいたはずです。

歴史というと遠い世界のように感じますが、こうした遊びを見ると、江戸の子どもたちも今の子どもたちとあまり変わらなかったのだと感じられます。



これもスポーツ?江戸ならではのユニーク競技

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「蹴鞠」は、江戸にも残っていた優雅なボール遊び

蹴鞠といえば、平安時代の貴族文化を思い浮かべる人が多いかもしれません。

しかし江戸時代にも、一部では蹴鞠の文化が受け継がれていました。蹴鞠は、勝ち負けを競うというよりも、鞠を地面に落とさず、いかに美しく蹴り続けるかを大切にする遊びです。

現代のサッカーやリフティングとは目的が違いますが、足でボールを扱うという点では、どこか通じるものがあります。

面白いのは、蹴鞠が「強く蹴る」「相手に勝つ」という競技ではなかったことです。
むしろ大切にされたのは、相手が蹴りやすいように鞠を返すこと。つまり、勝敗よりも調和や美しさを重んじるボール遊びだったのです。

今のスポーツとは少し違う価値観ですが、そこに日本らしい身体文化の面白さがあります。

剣術試合は、江戸の“格闘スポーツ”だった

江戸時代のスポーツ文化を語るなら、剣術も忘れられません。

現在の千代田区・神田や日本橋周辺には、多くの剣術道場がありました。そこでは武士たちが稽古に励み、時には試合形式で腕を競っていました。

防具をつけ、竹刀で打ち合う形は、現代の剣道につながるものです。

もちろん剣術は武術であり、実戦のための技術でもありました。
しかし同時に、技を磨き、相手と競い、観る人を引きつけるという意味では、スポーツ的な側面も持っていました。

江戸の町では、強い剣士の評判が広まり、道場ごとの特色も注目されていました。
今でいう格闘技ジムやスポーツクラブのような存在だった、と考えると少し面白くありませんか。

東京の街には、江戸のスポーツの記憶が残っている

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江戸時代のスポーツは、相撲だけではありませんでした。

両国では相撲に人々が熱狂し、浅草では羽根突きや凧揚げが楽しまれ、日本橋や吉原では投扇興のような大人の遊びが親しまれました。神田や日本橋には剣術道場があり、武士たちは技を磨いていました。

そしてそれらは、現代のスポーツのように「競技」として整理されたものばかりではありませんでした。

見る娯楽であり、武士の鍛錬であり、季節の行事であり、人と人が集まるきっかけでもありました。

今の東京は、ビルや道路、駅に囲まれた大都市です。
けれど、その同じ場所で、かつて江戸の人々が体を動かし、競い合い、笑い、熱狂していたと考えると、いつもの街歩きが少し楽しくなります。

次に両国、浅草、隅田川、日本橋、神田あたりを歩くときは、ぜひ少しだけ江戸時代を想像してみてください。

その場所は、ただの観光地やビジネス街ではなく、江戸の人々がスポーツや遊びに夢中になった“東京の原風景”だったのかもしれません。



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