江戸の夜は真っ暗で、外出も制限された時代。現代のネオン輝く夜景とは正反対の世界でした。
電気のない時代、夜は暗闇。しかし、江戸っ子たちは様々な工夫をして夜を楽しんだのです。
目次
江戸の夜、真っ暗闇の現実
街灯ほぼゼロ!日没後の漆黒の世界
江戸の夜は、現代の東京タワーやスカイツリーが輝く光景とは違い、ほぼ完全な闇に包まれていました。電気のない江戸時代、街灯は存在せず、稀に町役人が松明(たいまつ)を持った「当番」が巡回する程度。今の東京でいうと、渋谷や新宿のスクランブル交差点が一斉に消灯されたような暗さです。特に初期の江戸では、菜種油や魚油が高価で庶民の灯火は灯明皿止まり、光量も弱く煙くて室内すら薄暗い状態でした。この闇が、夜の経済活動を大きく制限したのです。
木戸の門限で封鎖された街
治安維持のため夜間外出禁止令(宵越し禁制)が出され、江戸の町は一町ごとに木戸(門)が設けられ、日没後(午後6時頃)から夜四つ時(午後10時)になると閉鎖されました。違反者は見回りの「与力」や町火消しに捕まり、罰金や牢入りも。今の東京メトロの終電後を想像すると、両国や日本橋周辺の路地が物理的に封じられたようなもの。火災多発の木造密集地を守るための宵越し禁制で、泥棒や火事防止が目的でした。このルールが、江戸の夜をさらに「真っ暗で静かな時間」に変えていたのです。
家庭の明かり、行灯が変えた夜
行灯普及で「使える夜」が誕生
江戸中期以降、木枠和紙の行灯(あんどん)が家庭に広まり、夜は「眠る時間」から「活動時間」へシフト。菜種油を灯す角行灯や丸行灯が主流で、柔らかな光で帳簿付けや子供の手習いが可能に。水車搾油技術で油価が下がり、1晩の油代はそば半分(約16文)相当でした。今の東京・上野の江戸東京博物館で実物を見ると、その繊細な光に感動します。枕元に置く小型枕行灯は常夜灯代わりで、家族団らんの象徴でした。
油代の負担と庶民の工夫
行灯の菜種油は毎晩の出費で、月数百文かかりました。裕福層は有明行灯(夜通し灯す)を使い、貧乏家は半夜(午前0時まで)で切り上げ。工夫として、ねずみたんけいや浮芯灯で油を節約したり、囲炉裏の残り火を活用。今の浅草の老舗銭湯文化のように、江戸っ子は光を「投資」と捉え、夜の生産性を上げました。これにより、女性の針仕事や商人の計算が活発化し、江戸の夜経済を支えたのです。
外出の相棒、提灯と夜の街歩き
提灯が彩った繁華街の夜
携帯用の提灯(ちょうちん)が普及すると、夜の外出が本格化。箱提灯や小田原提灯を手に、芝居小屋(中村座、元禄期の日本橋)や吉原遊郭へ。提灯には屋号が入り、赤提灯の居酒屋が客を誘いました。今の東京・歌舞伎町や浅草の提灯街がその名残で、夜市や茶屋が賑わいました。鉄製の蔵提灯は火災防止で酒蔵作業に使われ、安全性を高めました。
夜間仕事と娯楽の光景
夜見世の遊郭では大行灯が灯り、三味線のお囃子(清掻)が客を呼んだり、吸い掛け煙草で誘ったり。両国国技館の前身・両国相撲場でも夜の取組があり、提灯の明かりで熱狂。今の東京ドームのナイトイベントのように、江戸の夜は娯楽の場でした。人力車提灯は客を運び、馬上提灯は武士の夜道を照らしました。これらの工夫が、真っ暗な江戸の夜を活気づけたのです。
夜警と治安の守り手たち
闇を恐れぬよう、町火消しや与力が松明巡回。ぼんぼり(風よけ行灯)で町内を監視しました。今の東京消防庁の夜間出動を思わせる存在で、火事多発の江戸を守りました。こうした人々の光が、庶民の安心を支え、夜の文化を育みました。















