「かねやす」は江戸の境目

本郷3丁目の交差点にある「かねやす」は、昔に歌われた川柳で「本郷もかねやすまでは江戸のうち」 と言う有名な場所です。
由来は、江戸市中の一番北側と言う事と、享保年間(1716~1736)に、 現在の本郷3丁目の交差点角に、兼康祐悦という歯科医が乳香散という歯磨き粉を売り出し、これが大いに売れて店が繁盛し、歯磨き粉の「かねやす」として有名になったそうです。

また、1730年に大火があり、湯島や本郷一帯が燃えたため、再興に力を注いだ町奉行の大岡越前守は、ここを境に南側を耐火のために土蔵造りの塗屋にすることを命じました。
北側は従来どおりの板や茅ぶきの造りの町家が並んだ為、やはり境界として歌われたようです。


「かねやす」の近くで「見送り坂」(本郷4丁目37先の本郷通り)と「見返り坂」 (本郷5丁目23先の本郷通り)と言う坂があります。
この坂の由来も江戸の境目が関係しています。

「改撰江戸志」に、「むかし太田入道道灌の領地の境目なりしといひ給ふ、その頃追放の者など此処より放せしと、(中略)いずれのころにかありし、 此辺にて大きなる石を掘出せり、是なんかの別の橋なりといひ伝へり、(中略) 太田道灌の頃罪人など此処よりおひはなせしかば、ここよりおのがままに別るるの橋といへる儀なりや、」と記載されています。
江戸所払い(江戸追放)の者が、この別れの橋で放たれ、南側の坂で見送り人が 、涙で見送ったから「見送り坂」。
追放者が北の坂でふりかえったので、「見かえり坂」と名付けられました。

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