京王井の頭線 -駅名の由来-

京王井の頭線は、渋谷から吉祥寺を結ぶ京王電鉄の鉄道です。
駅間距離が非常に短く、次の駅までが1km未満で隣の駅がホームの端から見えるなど小規模な路線です。
踏切が多い中、環状八号線や主要な道路と交差する箇所は敷設時から立体交差化されるなど、複雑な 路線構造をしています。関東の私鉄の中で最初に冷房化率100%を達成した路線でもあります。

かつては三木露風、亀井勝一郎、山本有三、武者小路実篤、太宰治など、作家や詩人たちが愛した町など魅力溢れる地域を走るこの路線。駅名にはどんな由来があるのでしょうか。

京王井の頭線・駅名の由来
渋谷  塩入の場所があったため、鎌倉時代には「塩谷」と呼ばれていました。その後、平安・室町時代には渋谷氏が金王八幡付近(渋谷三丁目付近) に渋谷城を築き、一帯を支配したためこの地名になったとする説が有力です。
神泉  江戸時代に刊行された『江戸砂子』によると、「此処に湧水あり、昔空鉢仙人此谷にて不老不死の薬を練りたる霊水なる故斬く名付しと言ふ」とあって、古くから霊泉として知られていました。この名残りからつけられたと考えられています。
駒場東大前  「駒場にある東大の前」ではなく、駒場駅と東大前駅が合併してこの駅が出来ました。戦後に開業した、井の頭線で最も新しい駅です。
池ノ上  かつて駅の南方に、北から南に延びた細長い池があって、そのため駅周辺の高台を「池の上」と呼ぶようになったという説が有力です。
下北沢

 「北沢」と呼ばれた地域の下流側のことで、すでに江戸時代には下北沢村という地名があったようです。「北沢」の正確な由来は世田谷地域にある奥沢・深沢・馬引沢などの沢に対し、北に位置する沢の意味は、武蔵野台地の中で特に沢(湿地)の多かったいくつかの地域のうち、北側に位置していたためでした。

新代田  守山(まもりやま)付近〈現・守山小学校付近〉の窪地をダイダラボッチと呼び、巨人の足跡と言い伝えられている巨人伝説によって付けられました。田畑は市街化し、代田橋は姿を消したが、地名だけが残っています。
東松原  世田谷城主吉良氏の家臣であった松原佐渡守・兵庫・藤六という三兄弟が帰農して赤堤村内に開拓地を作り上げ、松原宿という一村を開いたことに由来します。元禄(17世紀末)のころ赤堤村から分離独立しています。
明大前  開業時の駅名は「西松原」。煙硝蔵(鉄砲火薬などの貯蔵施設)があった事に由来します。現在の駅名は、1935年に、明治大学予科(当時)が駅の近くに移転して来たのに伴い、「明大前」(明治大学前)と名付けられました。名前の由来となった明治大学和泉校舎は、甲州街道を挟んで北側にあります。
永福町  天正十八(1590)年に、小田原北条氏の家人安藤式部が主従七人を連れて土着し、永福寺を再興したことに由来します。 永福寺は、大永2年(1523)秀天慶実和尚により創建された古寺です。本尊は十一面観音立像、脇仏の不道明王と毘沙門天があります。
西永福  永福町の項を参照。
浜田山  『「浜田」という百姓の持つ畑の中に、雑木林があった。武蔵野の住人はそれを「浜田」の持つ「雑木林」という意味から「浜田山」と呼んだ』、という説と、江戸の商人浜田屋の持ち山であったと言う説があります。
高井戸  なかなか水の出ない場所で、ようやく堀りあてた井戸が高い場所にあったことに由来するとされる説のほか、高井山・本覚院の開山主、高井氏が住まう土地「高井土」が「高井戸」の地名の起源という説、「宗源寺」(下高井戸4-2)というお寺の不動尊「高井堂」が変化したものなど諸説あります。
富士見が丘  はっきりと判らないのですが、この地名は日本全国に見られ、過去・現在とも『富士山が望める』ことから「富士見」という地名がつけられているところから「かつて富士山が望めた」ことに由来すると考えられます。
久我山  「くが」は空閑または陸で空地という意味がありますから、「新開地」のことと考えられています。地名は古くからあり、玉川上水と神田上水の間の起伏が続く区域を言いますが、久我山という山はありませんでした。かつて、村内の小名札の野は、原野開発の高札場で「農業を営もうとする者は重罪人でも許す」 旨の高札が立ててあったといいますから、未開の地だったことは間違いないようです。
三鷹台  三鷹の名前の由来は野方領・世田谷領・府中領の3領にまたがるかつての「鷹場」の
村々が集まったことに由来します。農村地帯だった三鷹は関東大震災を契機に宅地化が急激に進み、昭和8年に三鷹台駅ができると爆発的に人口が増えました。
井の頭公園  徳川家三代将軍家光が命名者として伝えられておりますが、そもそも初代将軍家康が江戸城入城当初、上水の整備を大久保忠行(おおくぼ・ただゆき)に命じたところから始まっており、将軍家と水に関わる説が幾つか語られているようです。
 歴史的に見ても、先土器時代、縄文時代の遺跡もあるところから、このあたりは豊かな水を求めて早くから人が住み付いていたことは間違いないようです。駅舎は昭和8年に三鷹台駅と一緒に開設されました。
吉祥寺  長禄2年(1458)に太田道灌が江戸城築城の際に井戸を掘ったところ「吉祥増上」と印された金印が発見されました。そこで、城内に寺を建立し一宇を設け吉祥寺と称したのが始まりといわれています。 その後、吉祥寺は明暦の大火で焼失し駒込へ移されました。焼き出されてもかつての土地に愛着を持っていた住人たちが、この地を吉祥寺と名付けた事から武蔵野の吉祥寺が始まったといわれています

2 件のコメント

  • 明大前駅の開業時の駅名を「火薬庫前」と記されていますが、これは京王線の明大前駅の旧称です。現駅は帝都電鉄が開業と同時に設置したもので、当時の京王線は別会社であり、同地に駅はありませんでした。このコラムは表題に「京王井の頭線・駅名の由来」とあるので、井の頭線・明大前駅の旧称を記述する場合は、「西松原」とすべきです。

  • 貴重なご意見ありがとうございます。
    ご指摘のとおり記事を修正させていただきました。
    今後は内容に誤りがないよう、スタッフ一同気を付けていきたいと思います。

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