八丁堀 -同心組屋敷-

慶長17年(1612年)ごろ、江戸城への物資搬入や防衛上の観点から掘削された堀の長さが「八町(丁)」あった事から名付けられた「八丁掘」。
1町(丁)は60間のこと。1間は6尺で約1.82mですから、8町(丁)は約873.6mの長さになります。
江戸時代、「町」は距離の単位として用いられており、「丁」は「町」の略字となるため、「八町掘」と表記されることもあったようです。

江戸時代のいわゆる地域としての「八丁堀」は、現在の亀島川・日本橋川・首都高速道(旧楓川)・旧桜川(この南側の一部も含む)に囲まれた地域で、現町名では八丁堀、日本橋茅場町、日本橋兜町と広い範囲を通称したもの。
「与力・同心八丁堀組屋敷」として知られている屋敷筋もこの範囲内にありました。

八丁堀組屋敷は南北で約700m(最長部)、東西約300m(最長部)の範囲の大繩拝領地で、総面積は約32,800坪(約108,000㎡)程あったといわれています。
与力と同心の屋敷地割合はほぼ半々で、与力の拝領屋敷は武家地、同心が住むのは町屋敷として町地に相当しました。
俗に八丁堀の旦那(だんな)とよばれ、町人の畏敬(いけい)の的になっていましたが、両者の人数が相当数いたことから、それぞれ1戸あたりの屋敷地が大分狭かったことも記録として残されています。

東京メトロ日比谷(ひびや)線の八丁堀駅は、鍛冶橋通りと新大橋通りの交差点付近に位置します。
現在は江戸時代とは打って変わり、辺りは商業地域。
中央区に位置することもあって、駅周辺は中小のビルが建ち並び都心の雰囲気が漂います。
昼間は人で賑わうオフィス街としての顔を持ちながら、夜間は閑散となるのも特徴です。
亀島川が駅のすぐそばにあるため、蘇我方面へ伸びる通路(B4出口)では潮っぽい臭いがすることも。
他に隅田川など川や運河にも近く、臨海副都心的な雰囲気も感じられます。

堀自体は昭和35年〔1960〕から昭和41年〔1971〕頃にかけて埋め立てられてしまいましたが、 埋立地の一部は、桜川公園として整備され、この辺りに堀割があったことをしのばせています。