島津山の由来

品川区東五反田3丁目に位置する小高い丘は、島津山 (しまづやま)と呼ばれ清泉女子大学がある高級住宅街で有名です。
一帯は、寛保3年(1743年)奥州仙台藩伊達家が下屋敷を構えた所で、幕末の切絵図には、雉子神社や宝塔寺に隣接する広い五角形の区画に 「松平陸奥守(伊達家)下屋敷」と記されています。(敷地面積22670坪)

明治六年、屋敷はそっくり旧鹿児島藩主の島津公爵の邸宅とななり、 邸内にはツツジが植えられて、それが旧地名(袖ヶ崎)にちなんで「袖ヶ崎ツツジ」といわれるほどの名物となりました。
鹿児島出身の軍人や政財界人が集まるパーティが華やかに開かれたり、明治・大正天皇が お出でになったこともあったそうです。
建物が老朽化した明治末年には英国風洋館への改築計画から工部大学校造家学科(現東大建築学科)教授の英国人J・コンドル(日本政府の招きにより来日)に設計を委託し、度重なる設計変更から建物の完成までに9年、さらに内部の設備や調度に2年の歳月をかけ大正6年(1917年) にようやく落成しました。

ところが、昭和初期の金融恐慌で島津家の財政も打撃を受け、当初3万坪あった敷地を昭和4年(1929年)に8千坪を残し売却し、さらに戦後 、空襲の被害は免れたものの邸宅の維持が困難となり、土地と建物の所有権は日本銀行に移り、それを昭和21年(1946年)に清泉女子大が購入して昭和37年(1962年)横須賀からキャンパスを移しました。
現在も、白色タイル使用の壁面や精緻な石造技術を駆使した二階建ての邸宅は、ステンドグラスやマントルピースの内装もそのままに大学本 館として機能しています。
東京都選定歴史的建造物にも指定されており、ツツジと共に明治、大正の面影を伝えています。

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