将軍家の武運長久を祈る護国寺

天和元年(1681)2月、五代将軍徳川綱吉公は、その生母桂昌院(けいしょういん)の発願により、上野国の僧・亮賢僧正に、幕府の高田薬園の地を与え、護国寺を創建させました。
亮賢僧正は綱吉の母、桂昌院が綱吉を懐妊中から深く帰依していた僧でもあり、同寺建立は綱吉の孝行心の表れと言われております。

本尊として安置されたのは、桂昌院の念持仏(平生身につけたり、私室に安置したりして信仰する仏像)の天然琥珀如意輪観世音菩薩像。
この像はめのう石(大理石、石灰岩)で作られた、中国からの渡来仏だったそうです。
そののち元禄10年(1697)正月、観音堂新営の幕命があり、約半年の工事日数で、この大造営を完成し、同年8月落慶供養の式典が営まれました。
これが現在の観音堂(本堂、昭和25年国指定重要文化財)であり、元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは都下随一のものと称されています。

ほかにも仁王門 不老門 月光殿等文化財の数々も見る事が出来ます。
その後幕末まで、将軍家祈願の任に当たっていましたが、明治期以降徳川家との関係が絶たれ、著名人等の墓所にもなり、三条実美、山縣有朋、田中光顕、大隈重信などが眠っています。
明治16年、大正15年と火災で堂宇(堂の建物)の多くを失いましたが、観音堂(本堂)は元禄以来の姿を変えずに建築美を今に伝えています。

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